音を作ったりゲーム作ってるロリコンの駄文 since.2005.11.17~

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    人類は衰退しました 最終回 感想 考察

     最終話視聴後、周りが良かった最高だった綺麗なまとめ方だった、と絶賛している最中、私は初見で見た時なぜか感動できませんでした。だから考察します。どうして感動できなかったのか、私、気になります!

     ですが「どうして感動できなかったか」を考察後に、もう一度アニメを見直したら「ああ、すごい良い話だ」と納得できました。今ではブルーレイを買おうかなぁと本気で悩んでいます。

     自分のように「どこに感動するの?」「よくわからんかった」と思った方や、「妖精さんはロボットの中にいたんだ!」と単にそれだけで良い話としている方の為に、ここに記しておきます。違った観点から最終回を楽しめる・・・・・・かもしれません。

     ああ、私自身は原作を読んでいないので、全てアニメの表現から考察をしています。なので、原作を読んだ方で「この辺ちがうなぁ」などと思われたらコメなど頂けると有難いです。原作とアニメの違う点や、提示されてない条件から再考察するのも楽しいので。

     以下ネタバレ長文ゆえ注意です。


    <なぜ自分は感動できなかったのか>
     おそらく大きな要因として以下の1点が挙げられる。
       ・どうして妖精は『寮母ロボの中』を選んだのか
     自分の中ではそこが大きなネックとなり、最後に『ロボットの中にいました』と見せられても、「え? 何でロボットの中なのよ?」と感動よりも疑問が先に立ってしまい、世間で言われる「良いまとめの最終回だった」のようなサッパリ感よりも、モヤモヤ感が凄く大きかった。
     ここを解決しない限り、自分は絶対にこの最終回に感動することはないだろう。



    <コトの始まり>
     コトの始まりは、わたしちゃんが孤独に悩み、独りはイヤだと独白したシーンから始まる。「本当は一人ぼっちでいるのは寂しい」「本当は仲間と和気藹々うまくやりたい」「本当は笑われたり馬鹿にされたりすることは、死ぬほど辛い」「独りは、イヤです・・・・・・」
     妖精は、それを「容易い願い」と言い、・ワ・「お供に~」と『寮母ロボの中』に入った。



    <妖精の考え>
     つまり、わたしちゃんに『友達』がいれば良いと妖精さんは考えたのだろう。(※最終回の台詞 ・ワ・「ともだち?」より考察)
     さて、ここで問題となるのが(というより田中ロミオ氏が書きたかったことなのかもしれないが)、『友達とは一体何をもって友達と言うのか』ということである。これは凄く単純なようでいて、凄く複雑な問いだ。
     (話は少し逸れるが、本編ではその後、野薔薇会に参加することになったわたしちゃんが、メンバーの裏の面を見てYと仲良くなったりするのだが、ここにもその問いかけがチラホラと散見される。→「本当に信頼できる同族なんて滅多に居ないんだよ」※Yの台詞)
     ならば、どうやってわたしちゃんに『友達』を作って上げれば良いのかと、『妖精の立場』から考えてみると、これが中々に面白い。



    <妖精自身が、その場で友達になれば良い?>
     結論から言えば、これは駄目だ。
     なぜならば、わたしちゃんの独白のシーンでは既に『妖精さんと出会って』おり、それをもってなお『わたしちゃんは孤独だと叫んでいる』。つまり、わたしちゃん的には『妖精さんは友達足りえない』のであり、少なくとも妖精さん自身は『(現時点で)わたしちゃんの友達にはなれない』と思っていたはずだ。
     そもそも妖精は旧人類を対等と思わない節が多分にある。9話無人島での女王サマ扱いや10話の神サマ扱い、「食べちゃいます?」と捕食者と被捕食者といったシビアな関係を迫っていることも。最終話で壊れたロボを見ての台詞、「人間さん言うところの魂」からも見てとれて、逆接的に言えば『妖精には魂が存在しない』とも取れる。(妖精には魂が存在しない→人間で言うところの、という台詞に繋がる)つまり、妖精と人間は本質的に異なる存在だと、妖精さんは認識しているのだ。
     友達とは(Yとの交遊で見られるように多少の上下関係はあろうとも)基本的には対等同士での繋がりである。だから、この時点で妖精とわたしちゃんは対等ではなく、同時に友達となりえないのだ。

     また、わたしちゃんとの出会いで、妖精さん自身もいつ消えるのか分からない存在に『なっていた』。妖精さんとの出会いの場面が何気なシーンすぎて気づきにくかったのだが、
      ・ワ・「気がつけばお一人サマです~」
      わたし「お一人サマは寂しいでしょう・・・・・・?」
      ・ワ・「ちょう楽しいですから~」
      わたし「楽しい? 本当に、独りで?」
      ・ワ・「たの・・・・・・しく・・・・・・ない・・・・・・?」
           (中略)
      わたし「それで貴方はどうしたいですか?」
      ・ワ・「消えたいです?」
      わたし「ちょっと・・・・・・」
      ・ワ・「もうじき消える気がします」
     わたしちゃんとの会話で、妖精さんは孤独という『楽しくない』ことに気づいている。いつ消えるかもしれない存在と友達になれるかということもここで問題になってくる。

     話が長くなったのでまとめる。
     妖精さんがわたしちゃんの友達になろうとした時に問題となるのは、『妖精と人間は対等ではない』、『妖精さんはこのままだと消えてしまう』ということだ。



    <そして目をつけたのが寮母ロボ>
     ここで非常に重要なのが、『寮母ロボがわたしちゃんの部屋の前でいつもエラーを起こし壁ドンをしている』ことと『それをわたしちゃんが方向を直し、エラーを直している』ことである。そして妖精さんはわたしちゃんと行動を共にして目撃している。(※11話の台詞 わたし「あなたいつも私の部屋の前でエラーを起こすのね」)
     つまり寮母ロボは『いつも』、この辺りはアニメの描写では不明だが恐らく『毎日』、『部屋を変えたりしない限り卒業するまでの毎日』、わたしちゃんと『会う』わけである。友達の条件としては破格の条件である。

     では人間とロボなら対等なのかというと、厳密には違うのだろうが、少なくとも『妖精と人間』の関係よりかは対等である。なぜなら『ロボには魂が存在する』からだ。(最終話・ワ・「人間さん言うところの魂」「ございませんゆえ」「寿命ですな」から考察)

     さらにロボの中にいれば、妖精さんがこのままでは孤独で消えるという問題も解消できる。妖精さんからしてみれば、人間に会うと『おかしを貰える』か『解剖される』かの2択状態であり、また他の妖精もいないということが分かっている。孤独を解消するには人間ともっと触れ合わなければならないが、その機会を増やすにはリスクが大きすぎる。
     しかし寮母ロボにいれば、わたしちゃん以外の生徒に会うことも可能だろう。夢の中での台詞「千客万来ですから~」からも、ロボの中にいたことで多くの人間と触れ合えたと見てとれる。
     (※少し捕捉訂正があるので後ほど追記にて確認を)

     まとめると、ロボの中にいれば『毎日会うことができる』『対等の友達』をわたしちゃんに与えることができ、『妖精自身の孤独も解消する』ことになる。



    <妖精さんが入らなくてもロボは毎日やってくるよね?>
     ここからはかなり妄想が入っているので注意。
     「妖精が消えたとしても、友達であるロボがいるから、別にロボに入らなくても良かったんじゃないか」という疑問も出るだろう。
     恐らく、寮母ロボはわたしちゃんが入学した時点で既に壊れかけていたのではないかと思う。まぁわたしちゃんの入学以前から毎日のように壁ドンしていれば壊れるのも当然だろう。巻き毛のスカートを雑巾代わりにしていた描写もあったので、結構壊れやすいものなのかもしれない。(巻き毛との会話でロボの掃除描写が差し込まれたが、トイレ前に置かれただけでスカートがあそこまで汚れたとは考えにくく、ロボが雑巾代わりにしたと考えるのが自然だろう)
     また放置された大量のロボを見つけた場面からは、『ロボを作ったのは妖精』であり、更には『寮母ロボが壊れた時のスペア』だったのではないだろうかと考えられる。妖精が製作したというのはまだしもスペア云々は微妙な考察ではあるが、その考察のきっかけは『大量の骨』が置かれた描写である。
     あれは骨という抽象的な表現になっていたが、実際には『ロボの残骸』なのではないだろうか。『昔の地図を参照して』掃除をしていることから、『ロボは、学園設立時あるいは学園設立初期から稼動している』と考えるのが妥当だ。
     学園の築年数はアニメで言及されなかったため分からずじまいだが、まぁかなりの年数なのだろう。それをたった1台のロボがずっと掃除していたとは考えにくく、壊れた時の為にスペアがあったと考えるのが普通だ。

     さてここで問題なのだが、『ロボには魂が存在している』(少なくとも妖精さんはそう思っている)。しかし、そのロボが壊れた時にスペアが代わりになった場合、それは『同じ魂のロボ』なのかと問われたらそれはNOだ。寮母という仕事を何ら狂い無くやっていたとしても、それはあくまでスペアであり、壊れてしまったロボとは別のロボである。(最終話 ・ワ・「直すだけなら出来ますが?」「元通りには」「ならぬです?」より考察)
     つまり、わたしちゃんの友達になった寮母ロボが壊れてしまったら駄目なのだ。スペアはあくまでスペアであり、『別のロボ』であり、『わたしちゃんの友達のロボ』ではないのだ。
     だから、恐らく妖精さんはロボの中に入り、壊れないようにメンテナンスもしていたのではないだろうか。わたしちゃんが卒業するギリギリの所まで稼動できるように、スペアに代わられないように、壊れないように、妖精さんはロボの中に入ったのではないだろうか。
     そう考えると、妖精さんが入ったロボが緑色になった理由も納得できる。これからできるだけ長くわたしちゃんと居られる様にするために、緑色の『新品の』ロボを使ったのだ。

     (まぁ妖精さんが入っても、わたしちゃんが卒業する最後の方にはボロボロになってしまっていたので、耐用年数はかなり短いロボだったのだろう。だが、そこまでボロボロになってもわたしちゃんの友達を失わせないように妖精さんが頑張っていた、と考えるとイイハナシダナーと思えてくる)



    <ロボを友達にしたかった『だけ』なのか?>
     以上を踏まえると、妖精さんはロボをわたしちゃんの友達にしたかっただけのように思えてくるが、これもまたちょっと違うと考える。
     自分は、妖精さんが言った最後の「ともだち?」という台詞には、2通りの意味があったと考えている。1つ目は「(学園ではロボという)ともだち(がいて寂しくなかったですか)?」。そして、2つ目は「(これでわたしも)ともだち(になれましたか?)」、ということである。

     『妖精と人間は対等ではない』→『友達にはなれない』ということは先に述べた通りだ。しかし、学園という同じ場所で、同じ時間を共有し、それを何年も続けた関係。それはもはや『友達』と言える関係なのではないだろうか。例え対等な存在ではなくともこれで『友達』と言えるよね、という妖精さんの願いが、この台詞に込められていると思うのだ。



    <そして、わたしちゃんは『友達』を見つけた>
     結局、『妖精の御茶会』の秘密は謎のままだった。
     見つけようと努力しても得られない、秘密の『御茶会』。いつ始まったのか、いつ終わったのか、それともまだ続いているのか分からない『御茶会』。それを見つけようともがき苦しみ、時には楽しみ、『御茶会』を見つけようとした。それはとても――『友達』に似ている。

     「まだ寂しい?」。これで自分を友達と認めてくれますか。

     「頭の中でいつも御茶会が開かれているようなものですから」。友達は、自分が友達だと思ったら、その時点で友達なのだ。それが例え自分の中だけであろうとも。

     「貴方自身は寂しくないの?」。貴方は、自分が友達だと認めてくれますか。

     「千客万来ですから~」。例え対等な存在でなくとも、ずっと自分は、貴方を友達だと思っていましたよ。




    乱筆、読みにくい文章でしたが、以上が私の考察のまとめ。これでようやく最終回に感動できるようになりました。みんな、こんなことを一瞬で把握して良い最終回だったな~とか思っているのだろうか、すげぇな、自分の感性の浅さがイヤになるよ。
    そして2期やってくれ、いやマジで。



    ↓↓↓ 2002/10/10 追記 ↓↓↓


    <つい消滅について>
     原作を読んだ知人から、アニメでカットされた設定について話を聞いた。それによると、妖精には「つい消滅」という特性があるらしい。
     説明を聞いた限りではあるが「つい消滅」とは、「神話や歴史、人の記憶や意識の中に入り込める代わりに、記憶の中に消えた妖精さんを人々は中々思い出せなくなる」という現象らしい。また妖精さんたちが「つい消滅」を繰り返した結果、人々の間で「伝説の御茶会」という伝承が生まれたらしい。(間違っていたら申し訳ない)

     だから私ちゃん(と昔は妖精を虐めようとしていた少年)は妖精さんを忘れていたわけである。納得。付け加えるならば、「妖精さんが記憶や意識に入り込める」ということは、やはり「寮母ロボには意識(魂)があった」ことの証拠なのだろう。

     さてまた伝聞に戻るが、「妖精さんは記憶や意識に入り頭の中で御茶会を開く、その御茶会に誘われて他の妖精さんがその人の頭に訪れる、それにより人と人の意識を妖精さんが行き来して、人々の間の相互理解に繋がっている」らしい。(これまた違っていたらゴメン)
     つまり妖精さんがつい消滅すると、頭の中で御茶会が開かれて、人々の連帯感やら仲間意識やらが強まるということだ。(だからロボの中へと妖精さんが消えた途端、野薔薇会のメンバーやらYと仲良くなれたワケだ)

     自分の考察では『妖精さんはロボの中に入った』としたが、この設定を聞く限り、ロボの中『だけ』ではなくわたしちゃんの中『にも』消えた、といった方が良いのかもしれない。御茶会時空が(恐らく時系列を無視して)存在して、人々(寮母ロボ含む)の意識が玄関、といったイメージだ。

     そうすると、妖精さんが孤独で消えそうだった問題の解消方法としても更に最適になることが分かる。他の妖精が御茶会に来るわけだから孤独の解消法としてはかなり良い。「妖精さんはロボの中にいるってだけで、それを色々な生徒たちと触れ合えたって言うのは微妙かなぁ」と思っていたので、ここはスッキリした。

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    妖精さんがひとりぼっちになっていた
    主人公を救いだしたというのはわかっていたのですが
    そういうことだったのですね
    涙が溢れて止まりません
    ありがとうございました

    最終話だけガラリと雰囲気代わりましたもんね

    そんな意味があったとは・・・ 原作者とブログの人に感謝

    いいね

    なるほど
    スッキリした
    ありがとう

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